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「十分/不十分な住居」への権利

ちなみに自立支援施設について、個室ではないという「プライバシー」は理由にならない。誰しも困難なときは一時的にせよ我慢することだからだ。プライバシーを理由にする人には知っておいてもらいたいことだが、経済的に苦しいとき、一時的に居住をシェアする人は国内外に多数いる。ルームシェアリングを紹介するホームページも存在する。10代20代の若い世代でも利用する人は多い。もちろん複数の他人同士が暮らすわけだから、共通の決まり事や規則を設けているのが一般的だ。
大阪市による行政代執行@ツジカド*1

このエントリには他にも突っ込みたいところはたくさんあるのだが、さしあたりこの引用部に限定して考える。二つ述べる。

「十分な住居」への権利

 まず、プライバシーの権利の位置づけについて。結論から言うと、プライバシーの権利は「十分な住居」を構成する重要な要件の一つであり、それを我慢せよ、と言いえる根拠は(少なくとも国際人権規約の観点からすれば)ない。社会権規約委員会の「一般的意見」によれば、「委員会の見解では、住居に対する権利は、例えば単に頭上に屋根があるだけの避難所に等しい、又は住居をもっぱら物品とみなす、狭い又は制限的な意味で解釈されるべきではない。」と述べている。では、具体的にどのような要件を持つのか。

住居に対する権利は、他の人権及び、規約がのっとっている基本原則と不可分に結び付いている。従って、規約中の権利が由来するといわれる「人間の固有の尊厳」は、「住居」の語を、さまざまな他の考慮を考えに入れるように解釈することを要求するが、その最も重要なものは、住居に対する権利は、収入又は経済資源へのアクセスにかかわらずすべての人に確保されるべきだということである。人間居住委員会及び2000年に向けての世界住居戦略がともに述べているように、「十分な住居とは … 十分なプライバシ−、十分なスペ−ス、十分な安全、十分な照明及び換気、十分なインフラストラクチャ−、仕事に関する十分な場所並びに基本的な設備が、すべて合理的な費用で得られるものを意味する」。*2
一般的意見第4(1991)十分な住居に対する権利(規約第11条1項)(E/1992/23, Annex III)

要約しよう。「(プライバシーの権利を含む)十分な住居が、その人の収入や資産と無関係に無条件に与えられるべき」。ツジカドさんの見解は、日本が批准しているところの国際人権規約の解釈からすれば取りえない。

「不十分な住居」への権利

 では、「経済的に苦しいとき、一時的に居住をシェアする人」をどう考えるのか。二つ考えるべきことがある。望まないルームシェアを強いられる状況も「十分な住居」が保障されていない状況だ、というのが一つ*3。また、異なる種類の不十分な住居のどれを選ぶかについては、個人の自由に任せる方がよい、というのが一つ。特に後者について。

 経済発展にはいろんな状況がありえるから、「十分な住居」を今すぐ実現しろ、ということが困難な場合もある。しかし、経済発展の程度と無関係にできることは、「複数の不十分な住居の中から、もっとも望ましいものを自由に選ばせる」ことである。

 ルームシェアを望まないが経済的理由からそのような居住を行う人は、野外で生活することの安全性や寒暖その他に対する耐性、私財の保管等々の理由から、相対的に野外テントよりもルームシェアの方がよりニーズに合っていると考えるから、それを選択するのである。これに対して、野外テントの方を選ぶ野宿者にも合理的な理由がある。廃材のリサイクルなどを生業にする人の場合、ルームシェアでは生業自体が可能ではなくなる。その他にもいろいろ理由があるだろう。しかしいずれにせよ、安全性や健康面等々の面では劣る面が多いが、そうした総合的な評価という意味では野外テントの方が望ましいことがあると考えられているからこそ、そちらをあえて選ぶ人がいる、という話である。ついでに言えば、自立支援センターには、ルームシェアする相手を選ぶ自由はない。自主運営する仕組みもない。人を招くことも難しい。半年経ったら出て行かねばならない。このような条件でなされるルームシェアがあるとも思えず、その意味で、ルームシェアとも異なる。・・・てゆーか、ルームシェアってのは炊事や洗濯等に関わる部分を共用しながら、個々のプライベート・スペースはきちんと確保するのが普通じゃないか?


 ここには二つの問題がある。第一に、自立支援センターは「十分な住居」と言い得ない。とすれば、第二に、そもそも「十分な住居」でないのだから、自立支援センター入所を強要することは別の問題を引き起こす。ここで問題になるのは、プライバシーの権利それ自体というよりも、(不十分な中でも)プライバシーの権利も含めてどの権利を優先するかを自分で決める権利である。つまり、自己の生を自主的に設計する権利である。これは自立の根幹を成す権利であるはずだが、なぜこれをそう簡単に否定してしまって「自立支援」などと口にできるのだろうか。

 自立支援の基本は、自主決定の支援であり、ゆえに選択肢を用意して選ばせることが基本である。自立支援センターで実現される権利と否定される権利、テント生活で実現される権利と否定される権利、もとより何らかの権利を諦める選択肢しかないことが問題である。しかし、その上でも、これら不十分な選択肢を自主的に評価し、自分の価値観で選ぶ権利は保障されねばならない。自立支援センターへの入所を薦めたりしてはならない、とは言わない。しかし、それは、異なる価値観同士が対等に交流するようなものとして語られるべきことである。行政が強制退去をちらつかせながらやっていいことではない*4のは言うまでもない。

*1:via. http://d.hatena.ne.jp/keya1984/20070214/1171467834。TBをいただいた。keya1984氏の記事そのものについては、必要なことを順番に述べていって、その後で言及することになると思う。今回はkeya氏の参照している記事の一部について取り上げる。

*2:「すべて合理的な費用で得られるもの」のあたりの訳が気になる。原文では以下の通り。:"Adequate shelter means ... adequate privacy, adequate space, adequate security, adequate lighting and ventilation, adequate basic infrastructure and adequate location with regard to work and basic facilities - all at a reasonable cost."

*3:好きでやってる人は、この文脈では関係がない。

*4:この間、社会権規約委員会が強制退去を重大な問題として認識してきたのはおそらくこの点とも関係がある。同委員会がこれまでに公開した18の「一般的意見」の一つは、強制退去を主題とするものである。その中で同委員会は、強制退去を原則として否定、仮に実施する場合でも相当厳しい基準をみたすことを要求している。>一般的意見第七