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モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

野宿者の居住権──不法なのはどちらか

 
 
 
 
 
 

 ある人の家にいきなり893がやってきて、「こんど世界賭博ゆう大会をやることになった。お前のうちが会場になる。(おまえらがいるとジャマで目障りだから)○×日までに出て行ってくれ」という通告がある。拒否すると、真冬のある朝どやどやと893が乗り込んできて、暴力的に住人を外に追い出し、家を破壊した。

 こんな事件があったなら、どう考えても(あえてこの表現を使うが)「自然な」反応は「それはひどい」になるはずだと思うのである。ところが、893が警察と市の職員、「世界賭博」が「世界陸上」に、そして、追い出される人が「ホームレス」である、ということになると「しょうがない」が「自然」な反応である……? 本当にそうだろうか?

 もちろん、これは、今朝あった大阪長居公園での野宿者強制排除のことである。*1

あーはいはいそれはひどい893ですねワロスワロス。しかし公園は家ではありませんよね?
http://d.hatena.ne.jp/todesking/20070206/1170739655(ただし、半角カナを全角に修正)

 公園は公共の場であり、そこに住まう権利がそもそもないのだ、と、よく言われる。これもまた、物を知らない、ということに起因する典型的な反応である。野宿者に対して同情的であれ批判的であれ、責任を持って物を考えたいならば知っておかねばならない基本的論点について無知であることを意味する。ここで揶揄されている猿虎さんのこの比喩はまったく適切なものだ。前提として、「居住権」という概念がある。この居住権については、次のページに詳しい。>居住の権利って、な・あ・に?*2
 適切な居住を確保し、それを改善するのは基本的権利である。それを制約できるのは、他者のそれと同等以上の権利である。公園の通常の利用形態を想定するとき、居住以上の切実なニーズに関わる利用などありえない。公園で遊ぶ自由も、そこを通行する自由も、景観についての好悪の権利も、それらは一切合切、すべて、居住の権利の後に来るべき権利である。である以上、野宿者の公園への居住は、彼らが代替的な住居を提供されない限り、公園の適切な使用法と認めるというのが本筋である。
 もとより公園のテントは、適切な居住場所ではない。国連・社会権規約委員会が策定した基準に照らしてみても、そうだ。そこは決して安全ではないし、健康に良い影響はもちろんないし、水、暖房、衛生設備などの基本的な資源へアクセスする権利はみたされていない。そこから抜け出て「適切な住居」が獲得できるように、優先的に支援を受ける権利もある。だから、彼らの生活に対して改善的な提案がなされるべきであり、その改善が本当に改善であるかについて(たとえば自立支援センターのありようもここに関わる)、彼らと共に考える姿勢がなければならない。・・・にもかかわらず、大阪市は一貫して話し合いを拒否し、代替地を提供することなく強制執行を行った。このような大阪市の態度こそが「不法」なのである。


 この論点については、今回の行政代執行においても当然問題にされた。今回強制排除された野宿者Kさんは、大阪市に提出した弁明書の中で次のように述べている。

・・・あなたがた(注・大阪市)は、我々のテントについて都市公園法を持ち出して不法占拠と言いたがるが、それを持ち出すのであれば我が国の批准するところの国際人権規約の居住権についてももっと学んでほしい。あなたがたが認めたがらなくとも、儂には居住権ゆうもんが存在するのです。・・・
http://kamapat.seesaa.net/article/31231237.html

しかし、大阪市はこうした見解について一言も答えることなく、行政代執行を強行したのである。権力の濫用以外の何物でもない。

※ ここでも「自立支援センターがあるではないか」と述べる人はいるだろう。しかし、「半年経ったらとにかく出て行かねばならない」「自主的な運営ができない」というのは、これもまた「適切な住居」の基準を満たさない。社会権規約委員会の一般的意見においては、「居住の権利は、その他の基本的自由に関わる権利と切り離して考えることはできない」ともきちんと言及されている。


 もう一つ、最後に一つ付け加えておきたい。・・・法的正当性を主張することは、この世の中では必要なことも多い。しかし、国際人権規約が作られる以前、自国政府がそれに批准する以前にも、居住の権利に対する同様の侵害は日常茶飯のこととして行われてきたのだ。そして、それもまた、不正だ、と僕は主張する。何かが不正である/でない、と言えるための根拠は、究極的には法ではなく、人間存在のありように関わるレベルで決まると言わねばならない。住む場所は、肉体を持つ人間存在にとって不可欠の物質的条件である。ゆえに、それが権利とされねばならないと言われるのである。野宿者の主張は法的に正当でありえるだけでなく、かつその源泉は人間存在の客観的事実に由来する。そのことについては、「多元的社会にある多元的でないもの」において考えた。

*1:http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20070205/1170693834

*2:このサイトは本当によいまとめサイトなので、是非多くの人がブックマークすることを推奨したい。