モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

アイヒマンは、いつでもその身を隠す(2006/04/08)

 id:otsune氏へのコメントへの応答。

おかしいのは「実態にあっていない規則」のほうであって、たとえ「命に関わることを要求して座り込む」人に対して、窓口の担当者が立場的にルールに沿った発言した出来ないとしても、窓口の人がルールを守って職務を遂行していることを非難するのはおかしいでしょう。
……と、私(otsune)の価値観では考えますよ。それをmojimojiさんの価値観では非難しますよ。という事ですよね。
非常によく理解できます。

 otsune氏は、ここで支持する/しないを、「座りこみをする人を支持するor担当者を支持する」というフレームワークに封じ込めたところでしか思考しない。あるいはできない。そして、そのように封じ込めることによって、otsune氏のような発想は維持される。彼は、異議申し立てを、頭からはねつけたりはしないのだ。少なくとも主観的には。つまり、otsune氏のような人物は、倫理的な要求を文字通りに倫理性を否認することによって棄却するのではなく、その要求を自分とは切り離されたローカルなフレームワークに閉じ込めることによって棄却しようとする。自らの非倫理性(少なくとも非倫理性への加担)を露わにしないようなやり方で、棄却するのだ。
 我々の思考は、座り込みを支持しつつ、しかし、この担当者を責められるのだろうか?という問いを立てることで、初めて前進していくことができる。それは、この二者だけを視野にいれるようなフレームワークを破壊し、我々自身をも登場人物として扱うようなフレームワークに作りなおすことを意味する。しかし、otusne氏はそれをしない。あるいはできない。 つまりは、またしても、正義や倫理に基礎をおかない思考は、その身を隠そうとするのである。彼は非倫理的な立場にコミットするのではなく、非倫理的な立場を可能にするフレームワークにコミットすることで、迂回的に自らの欲望を満たそうとする*1
 id:hokusyu氏の「アイヒマンの論理」という指摘でもotusne氏は気付かない。あるいは「気付かないフリをする」。もはや、本当に気付いていないのか気付いてないフリをしているのかはどうでもよい。彼のようなふるまいが何によって可能になっているのかは既に明らかだ。あとは、隠れる場所を一つずつ暴いていく作業だけが残っている。面倒くさいが、otsune氏に噛み付くだけの元気があるうちは、プチプチとやっていこうかと思う。

*1:ここでもまた、彼が「何を述べないか」が非常に重要なのだ。