モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

律法主義者の浅はかさを哂う

 id:otsune氏からコメント。速攻レスします。

犯罪行為になるのでなければ何をやってもいいわけではないでしょう。

それはmojimojiさんの倫理感ですね。明文化されていない不文律をさも「そのぐらい当然気を使うべきだ。それをしないのだから非難するのだ」と無理筋で根拠にされても「はい。そうですか。でも私は法を根拠にした倫理観で行動しているので、価値観の違いですね」としか言えません。
つまり「otsuneは法的な倫理観が有るが、mojimoji的倫理観にはそぐわない」と言っているのだという意味ですよね。
それは同意しますよ。別に問題だとは思いません。(ギャラリーの目からは、そんな明文化できない根拠の無い事で騒ぐmojimojiさんの異様さが際立ちますし)
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20060330/p1#c1143691541

 そーらきた。という感じですね。法がないところというのは、一人一人の倫理観が交錯しながら規範を立ち上げる場所であり、規範そのものがあってはならないところではないのです。いじめに加担する一つ一つの行為のほとんどが、法には触れない領域にあります。端的に一人一人がある人を相手にしないことの積み重ねとしてある一個人を孤立化させたり、端的に一人一人が「お前は・・・だろ」と述べることの積み重ねとしてある一個人がそのような発言によって取り囲まれる状況を作ったり、こうしたことは一つ一つは法に触れる行為ではなく、しかしその人にとってはしばしば命を奪うほどに辛く苦しい状況でありえます。あなたの採用する倫理は、合法的ななぶり殺しの道を開くものです。そうしたことについて、あなたはロクに物を考えたことがないのでしょう。

 つまり、僕の批判は、otsune氏がmojimojiの倫理観に沿うか沿わないかという問題ではありません。いじめというものが持っている構造を分析した上で、それを回避しうる倫理であるのかどうか、私とあなたの倫理観の性能を比較しているのです。あなたの採用した倫理は、あらゆる種類のいじめを可能ならしめ不問にする倫理であり、僕の採用した倫理はそれを回避するための努力を不十分ながら盛り込んだ倫理です。それが意味することは、あなたはいじめというものについておよそ真面目に考えたことがないか、さもなければあらゆる種類のいじめを容認しているのです。そして、そのいじめ容認という一点において、あなたは批判されているのです。
 採用した倫理、規則、規範が意味するものにおいて内在的に批判することを、すぐさま別種の倫理、規則、規範に一致していないことをもってする批判であるとすりかえること。あなたのような人がいつでも使う常套手段なのですよ*1。憎むべき、そして哂うべきふるまいですよね。

*1:追記。ekken氏よりTB。「自分の倫理観にそぐわない人は悪人と言う事らしい」。そぐう/そぐわないとは別のレベルの批判であることを述べたこのエントリの後で、まだこんなことが言えるというのは不思議。