モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

山形テーゼは要批判

ミクロとマクロ (Dead Letter Blog)
+ C amp 4 +
「梯子」は何処へ消えた? (Dead Letter Blog)
+ C amp 4 +
 いろいろ検討すべきことがあると思うので、材料だけ集めておこう。


 Dead Letter Blogで何度も引用される山形浩生氏のコメント。

いいえ。マクロはミクロの積み重ねでしかありません。それは100人の村だろうと1億人の社会だろうとまったくかわらないのです。一人の活動の量は確かに小さい。でも、マクロな制度の変化は、その小さい活動の積み重ねでしかない。所得の4割を税金として召し上げようという制度を作るためには、一応民主主義の建前として、その社会の構成員みんな――あるいは過半数か多数――が、所得の4割を社会に拠出することがよいことだと納得しなくてはなりません。そしてそこで納得するのは、「マクロな社会」とかいう抽象的なものではなく、ごく小さな力しかない、ミクロな個人なんです。

その議論を納得させようとしている当人が「オレの貢献なんて小さいから行動しない」と明言するのであれば、その人は納得させるべき数千万人の最初の一人である自分すら説得するのに失敗しているのです。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20051111#c1132359526

 この応答のあて先である内藤朝雄氏のコメントも要チェック。山形氏の発言を単独で見ると、首肯したくもなる。たとえば「マクロはミクロの積み重ねでしかありません」というのはその通りだと思う。しかし、どこか変だ。


 個人的に思うことは次のこと。うちは子どもはいないけど、子どもがいれば将来の教育その他諸々金がかかる。うちの子が大学行きたいと言い出したらどうすればいいのか。40%は寄付せなあかんから私立大学は諦めて国立以外無理、と言えばいいのか。まともな先進国の半分しか高等教育予算が使われてない段階で、拠出だけは先行してやれ、でないと最初の一人さえ説得に失敗している、という話か。子どもが病気になったらどうだろう。医療保険のない国よりはマシだけど、病気になったことを悲しみのに加えて金の心配しなくて済むような状況はない。山形氏の言うとおりに40%の寄付をやっていたら、もしものそのときにはどうなるのか。誰か金の算段はしてくれるのか。医療の心配しなくて済むような状況が実現する前に、拠出だけは自主的に先行してやれ、でないと最初の一人さえ説得に失敗していると言うのだろうか。うちの老親への仕送りを全部寄付してもいいけど、その分社会が面倒見てくれるのかどうか。過重な労働時間を引き受けつつ、政治参加・その他勉強に要する資源を限られた時間で捻出するには、時間を買うための投資もいる。端的に言えば、自分の活動量をできるだけ高い水準に保つために、交通の便の良いそれなりに地価の高いところに家を買うつもりだ。これも40%の寄付やって諦めろというのだろうか。今の日本の高等教育予算の貧困さの中で、うちの大学もいつまで安泰なんだか分かったものではない。失業したら誰が面倒見てくれるのか。ローン支払い中の家も出て行かざるを得ないだろう。そういうリスクを全部引き受けて、40%寄付してからでなければ税率40%を主張するなというのは、実のところ生活感が全然感じられない。少なくとも僕にとっては、40%寄付してもやっていけるような社会を作ってくれんことには、恐ろしくて40%も寄付なんかできるか、っていう話。
 も一つ言えば、端的に、山形氏の主張は、カッコイイことは認めてもいいが(そしてそれはどうでもいいことだが)、論理的には何の関係もないことをつなげているだけだ。もちろん、ミクロの積み重ねからマクロは生まれる。しかし、それは筋の通った政治的主張を飽きずに繰り返す、一人一人を説得する、そういう政治的なミクロの話からつながる話であって、経済的なミクロをそこにつなげる必然性はどこにもない。少なくともこの話の場合には。

追記

 「2006-03-22 - 売文日誌
 これは議論のテクニックだとか真意はもっと別のレベルにあるとか、そういう解釈が成り立つケースがないとは言わないけど、この山形氏の発言を内藤氏への応答のコンテクストに位置づけて解釈した上でということなら無理筋でしょう。山形氏はどちらかといえば、「税金40%」と主張する内藤氏を黙らせるためにこのロジックを持ち出している。
 j_m_w_t氏には通じてないようなので改めて書くけど、個々人は所得の40%で本来社会保障等で賄われるべき個人的な何かを支えていることもあのであって、というよりそういうケースの方が圧倒的に多いのであって、山形氏の主張は、それら40%の支出先が「ただのぜいたく品」であると前提しないと成り立たない。で、成り立っているわけがない以上、政府支出が約束されてないところで所得の40%を寄付せよと留保抜きに主張するのは単なる暴論。