モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

距離について

 近いところに気持ちが向かう。近い人の気持ちをまず考えるとか、近い人の立場をまず代弁するとか、近い問題にまず取り組むとか。その近さとは一体何なのか。
 沖縄出身である僕からすれば、沖縄関連問題に対する、日本本土における平均的な距離感というのは、それなりに疎外感を感じるものだった。「沖縄はなんで独立しないの、その方がいいじゃん、それなら私は賛成するよ」と、こちらの話を聞かずにとうとうとまくしたてた人もいる。
 たとえば、イラクで人質になった三人のうちの一人、高遠さん。彼女はイラクで支援活動に従事していた経歴があったはずで、彼の地に実際に触れ合った知人がいる。三人へのバッシングはすべて、僕は認めないけれども、近さ遠さで言うならば、少なくとも高遠さんがイラクの知人たちを「近い」と考えるのは当然だと思ったけれども、普段遠い近いを言う人たちは、彼女にとっての近さゆえに彼女のイラク行きは当然だと擁護する人は、僕の知る限りいなかった。
 近いところにまず気持ちが向かうのは、それはしょうがないよ。しかし、少なくとも、遠い、近いというのは人によって異なるってことくらいは分かっている。人によって異なるから、それを真面目に見つめるなら、普遍を指向しないといけない。普遍指向というのは、「異なる」個別具体的なものに根ざしている人同士がつながるためのものであって、何もない中空に普遍を生じさせているわけではない。近さ遠さをは大抵恣意的に語られる。異なる近さ遠さをどのように視野から逃さないようにするか、そろそろその程度のことは考えたらどうなのか。われわれは*1