モジモジ君のブログ。みたいな。

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antiECO氏のコメントへのレス

フランス暴動について - モジモジ君の日記。みたいな。へのid:antiECO氏のコメントへのレス。「これ以上私のコメントは必要なさそうですね、それでは。」といことですから、レスする気はないかもしれませんが、お返事はあまりに的を外しているので、そのことはきちんと指摘させていただきたいと思います。

日本との話は言葉足らずでしたね、食費を削れば携帯電話代がなんとかなるくらいのおこづかいを親からもらえる日本の子供はある意味裕福ということです。

フランスの若者が、一般的に言ってどの程度のお金を動かせるのか知りません。しかし、antiECOさんは「ブログで煽っていた奴が捕まったり、携帯で連絡とっていたとかニュースになっているけど、パソコンとか携帯持っている連中を貧困層と呼んでいいのか、このフランスでっていう気持ちも一方ではある。」とおっしゃってる。だから、少なくとも以下の疑問に答えるべきだとは思います。

  • 暴動に参加した若者たちにおいて、携帯やパソコンの所有がどれだけ一般的だったのか。ほんの一部の子たちが所有していただけならば、antiECOさんの発言は成り立たない。
  • ブログを使うのにパソコンを「所有」している必要はないが、どのような利用の仕方であったのか。いかにフランスの若者が動かせる小遣いが少ないのだといっても、コミュニティ内に安価な方法でインターネットにアクセスする手段は皆無、ということなんでしょうか?ネカフェでもコミュニティセンターのようなところの端末でも何でもいいですが。フランスの若者は、一般的にインターネットをほとんど利用していない、ということでしょうか?そういう状況はさすがに想像できませんが、もし実際そうなのでしたら、申し訳ありません。こちらの認識不足です。
  • あるいは、そもそも、暴動の拡がりに際して、携帯やブログでの連絡・伝達のケースがあったとして、それがどれほど一般的だったのか?ほんの一部がそういう連絡手段や扇動手段をもちいただけで、実際の暴動そのものは口コミのネットワークと報道による他地域情報の入手によって広がった、ということはありえないのでしょうか?

少し考えただけでも疑問点がこれくらいは出てきますが、antiECOさんのエントリを見る限り、これらの疑問に答えるものではないと思います。ゆえに、「パソコンとか携帯持っている連中を貧困層と呼んでいいのか、このフランスでっていう気持ちも一方ではある」という発言は、少なくとも現時点では、日本のテレビの「迂闊な」報道と同程度には根拠が見当たりませんし、印象操作的です。

なお、人に歴史ありの「人」は「移民」とイコールではありません。この文脈で「人」と出てくれば、まずは、「雇用者側」、「非雇用者側」双方を指すと考えませんか?私は「移民」という単語をまったく使ってないのですよコメント内で。

僕の方は、被用者側あるいは移民における「歴史」だけを取り上げてコメントしましたが、別に使用者側や非移民における「歴史」を含めたとしても、何の矛盾も生じません。
「歴史」が被用者にあるものだろうと使用者にあるものだろうと、どちらでも構いません。もし、移民系労働者の就労機会が有意に少なくなるような構造があるなら、それは個々の「歴史」に還元できませんよ、という話をしています。

あと、私の周りに「差別がない」と言っている方は誰かを教えてもらえませんか?「移民に対する差別」と言い切る報道に違和感を抱いていたり、階層社会が硬直しているという決めつけに待ったをかけていたりはしていると思うのですが。

antiECOさんの紹介されたま・ここっとさんのブログにはこうかかれていますね。
http://malicieuse.exblog.jp/3189935/

これを読む限りでは、「(名前による)差別はあるが、現実なんてそんなものであり文句を言う方がおかしい、名前を変えればよい」と述べていますね。別のエントリでは、<自分の選択の結果なんだから、文句言うのはおかしい>という意味のことまでおっしゃってますしね。

あなたも、差別の有無は別として、今回の一連のエントリは、「移民に差別あり」vs「移民に差別なし」の構図で書いたものではないですし、そのことはさんざん文中に示しています。

「差別などない、問題じゃない、と、これまた十分な根拠があるとは思えない方向に「鵜呑みに」されかねない状況」と僕は述べました。「差別などない、問題じゃない」の部分を分かりやすく明示的に書き直せば「差別などない or 問題じゃない」という意味です。antiECOさんのエントリは、差別の有無の構図で書かれたものではありませんが、問題にすべきことの有無の構図かかれたものではあり、「問題はない」という立場だと読んでいるのですが、違いますか?そのように考える根拠としては、2つあります。(1)ま・ここっとさんの言説については留保抜きに紹介されているので、賛成しているものと理解しています。(2)「大臣にもなっている」という事例を出して論じているわけですから、(大臣になれるくらいだから)差別はないか、あるとしても問題ない程度に小さい、という立場だと理解しています。・・・という理解ですが、これは間違っていますか?「大臣にはなれるが差別はあるんだ」とか、「ま・ここっとさんのエントリを紹介はしたが、それには同意しないんだ」など、なんでもいいですが、違うなら違うとおっしゃっていただければ早合点については謝りますよ。

そう理解してよいのだと仮にするなら、それに対して僕は「問題はあるんじゃないの?」「少なくとも、問題はない、といえる根拠は弱い」という立場でエントリを書いています。だから、別にantiECOさんの書かれていることを「差別の有無」の文脈で読んでいるわけではないです。


最後に誤解のないように申し添えておきます。
別に、「差別があるに決まっている」と決め付けたいわけではないのです。ただ、少なくとも、若者の暴動*1に関して、そこに「どこにでもいるならず者」であり、「社会的な問題として認知すべきことはない」と言わんばかりのトーンに強い違和感を感じているだけです。確かにこのような若者はどこの国にもいますが、ガラの悪い若者がどこにでもいるかどうかということと、それらの背景に問題とすべきことが何もないかどうかということとは違います。どこにでも現象があるということは、どこにでもそれを引き起こす察知されるべき問題がある、と考えて何の矛盾も生じません。それが、移民への差別かどうかは、基本的にどうでもよいです。たとえば、「2005-11-13 - fenestrae」で予告されているように「社会政策の不備」という理由でもよいのです。*2
もちろん、本当に何もないなら、それはそれで構いません。しかし、そのような主張を信じるには、antiECOさんのエントリにしても、ご紹介のま・ここっとさんのエントリにしても、とてもじゃないがその根拠としては不十分だ、ということを申し上げているだけです。

*1:騒動、とはあえて呼びません。

*2:その社会政策の不備の背景に差別があったりすることはよくある話ですが、それもまたどうでもよい話です。