モジモジ君のブログ。みたいな。

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9条改憲論者の現実感覚の貧しさ

一般に9条が理想主義的(=空想的)、9条廃止が現実的、というレッテルはりがある。「国際的な紛争が常態化している中で、紛争への介入に参加できる体制づくりが大事」という観点からすれば、9条廃止が現実的であり、9条支持派はテロリズムなどの国際的な安全保障の課題から目をそむけていることになる=理想主義的(というより空想的)ということになる。しかし、観点が変われば、何が現実的で何が理想主義的(空想的)かは逆転する。


たとえば「自らが軍事的脅威になる可能性をどう防ぐか」という観点からすれば、9条廃止論者がおよそまともな対案を持っていないのは明らかである。他方、イラクに派遣された自衛隊が戦闘行動を免れているという意味で、9条は確かに存在感を発揮している。9条の存在が自衛隊を廃止させないとしても、その海外派遣を禁止しないとしても、それでも派遣先で積極的な戦闘行動に参加しない/できないことがその意義を示している。法の存在は現実的な力であり、これをなくそうというのであれば、9条が果たしている役割をいかに制度として実現するのかをはっきりさせねばならない。

9条なしに軍事力行使を是々非々で議論するのであれば、そのためのルールがなければならない。他国の紛争に介入する、あるいは先制攻撃を行うという状況からすれば過半数の賛成ではとても同意として認められるべきではないし、昨今の小選挙区制というトンデモな制度の元では2/3という数でも十分ではない。いずれにせよ、そこできちんと議論され、軍事力行使の是非に関わるあらゆる情報がオープンにされ、そこで議論されること、軍事力行使の最終決定者の責任をも明確にしなければならない。さらに、事前的なチェックだけでなく、事後的な評価も不可欠である。そして、それを政府が行うことは決して信用できない。武力行使が必要であるならば、それを主張する連中は、「早急に国際司法体制を確立すべき」と主張すべきだ。そのようにhttp://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20051016/p1でも書いた。

実際に主張されていることは、事前のチェックについても不十分だし、事後的なチェックについてはおよそまったく考えていないとしか思われない。9条改憲論者を「自称」現実主義者と僕が揶揄し続けているのは、そういう理由からである。良く言ったとしても、非武装中立論者ほどにも現実的ではない。