モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

新自由主義的グローバリズムへの対抗戦略

面白い記事を見つけた。>「2005総選挙 (4)日本とドイツの対照的な選挙結果」@CYBER FRENCH CAFE


単なる選挙結果の比較に留まらず、ドイツにおける政権の新自由主義的シフトの背景についても言及しており非常に興味深い。


小泉が選挙に勝利して以後、株価が回復している。しかし、単純には喜べない。株価が上昇するとは、日本企業の収益改善が期待されているということである。企業がイノベーションによって新製品を開発したり、より低コストでの生産が可能になったり、という要因で収益が改善するならよい。しかし、企業が人員整理などによって収益改善する場合には話は別である。一言でいって、企業が生み出す「パイ」が大きくなることによる収益改善と、「パイ」は変化しないでコスト削減(主に人件費)によって生まれる収益改善がある。前者の場合は労働者に対する分配は悪化しないし、向上する可能性も見込まれる。しかし、後者の場合は、これは株主にしか利益はゆかないことになる。ぶっちゃけて金持ちにしか利益はいかない。

で、小泉流の構造改革というのは、企業を様々な面で優遇し(これを、企業を余計な負担から解放する、と言い換えられる場合もあるわけだが)、それによって企業業績を回復させて景気を回復軌道にのせるというものと言える。しかし、三段ロケット*1の切り離し部分よろしく、余分な労働者を次々に切り落として、身軽になった本体=企業の株価だけが上昇していくことに、何の意味があるのだろうか。結局のところ、株を持てる=生産手段を私有できる資本家の利益にしかならない。国内に失業して絶望して、そしてやがて低賃金労働の中に飼い殺されていくだけの人々を大量に置き去りにして、それがわれわれの望む世界なんだろうか。

そうは言っても、金の卵を産む鳥(by小泉)を殺すわけにはいかない、と言うかもしれない。CYBER FRENCH CAFEでは次のように述べられている。

ドイツの国内法規は安易な解雇を規制し、労使の共同決定を重んじています。つまり「働く人に優しい」システムになっている。これが構造改革と真っ向からぶつかる。そんな中、ドイツの法規制の枠内から逃げ出すドイツの大企業が出てきている。とにかくリストラに着手すると労働組合からの大反発を食らう。おかげで、不要な社員の首は切れないし、社員の福利厚生の負担を減らせない。利益も上がらないと、株価も上がらない。株価が低迷すると企業の時価総額が縮小し、買収の標的になる。それならドイツから逃げ出すしかないというわけです。充実した社会保障制度が高い労働コストとしてドイツ企業にのしかかり、経営者の7 割が被雇用者は法律で保護されすぎていると考えています。

労働者の権利を守ろうとすると、そもそも働く場自体が海外に逃げていきかねないというジレンマ。ぐっ、と口ごもってしまいそうになる。しかし、そこには突破口もまたあるように思う。かなり壮大な構想でもあるわけだが。


というのはこうだ。引用中に言われるところの「株価が低迷すると」というとき、この株価は相対価格だ。つまり、労働者の権利をきちんと保護しないような国における企業は、権利保護義務を免れていることによって収益力において優位性を持ち、そうした企業に比べると、労働者の権利を保護する国における企業は劣位に甘んじてしまうということである。だから、権利保護義務を負う企業の株価は、その義務を負わない企業に比べて「相対的に」低く評価される。であるならば、答えはもう一つある。権利保護をきちんとやっているのを破壊するのではなく、権利保護をしていない国の方こそをまともにしていくべきなのである。では、その国とはどこか。国際経済において圧倒的なプレゼンスを持ち、かつその国における労働者の権利があまり真面目に保護されていない国がある。第一にアメリカであり、第二にそれを追従しようとしている日本である。日本はたとえばパートタイマーの差別を禁じたILOパートタイム条約など、労働に関係するILOの重要な条約のいくつかに批准していない。アメリカにいたっては、国際人権規約社会権規約にさえ批准していない*2驚くべき人権後進国である。

つまり、新自由主義グローバリズムへの対抗戦略とは、社会保障の世界的イコールフッティングというグローバリズムだ。すべての国において、少なくとも経済的に発展しているすべての大国において、先行して十分に豊かな権利体系が実現されるように、そのような体制を実現していかなければならない。そして、そうした国々の強力な企業が、人々の権利に十分な責任を負うことから逃れられないように、逃げ道をふさぐのだ。

先進国においてこのような共同歩調が取られるならば、こうした傾向は南北格差の問題に対してもよい影響を及ぼすはずだ。なぜなら、先進国企業は労働者の権利という「ハンディ」を負っている。相対的に先進国よりは厳しい状況に置かれるとしても、第三世界の労働者の権利擁護の状況も、より改善されるはずだ。

今、我々は、対抗戦略の最前線=アメリカおよび日本に住む国民であることを誇りに思わねばならない。我々こそが、幸運にもその最前線において戦う名誉を与えられた者=最前線たる社会における主権者なのである。我々のための社会制度をきちんと整備し、人が住めるまともな国にしていくことは、あらゆる戦いのための起点になる。誇りを持って、その戦いに赴こうではないか。

*1:懐かしい・・・(笑)

*2:先日、国際法の先生がこの話をされたとき、聞いていた人の多くが驚いたが、先生曰く、「アメリカは特殊な国ですからね」とのこと。