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小泉こそが根源的な愚民思想の持ち主である

このブログでも、いくつかのエントリで小泉支持者を「愚民」呼ばわりしてきて、そのことへの批判もある。しかし、僕を批判する人が、小泉を批判しないのは僕には理解できない。なぜなら、人々を「愚かだ」と認識している点において、小泉は僕と認識を一にしているだろうからだ。

小泉と僕をはじめとする「愚民論」は、人々を愚かだと認識している点では違いはない。ただ、その愚かだと認識する相手へのアプローチの仕方が違うだけである。小泉支持者たちは、当の小泉自身から愚かだと思われていることを、ちゃんとわかっていなければならない。


小泉の取った政治戦略は、政策の中身は説明せず、スローガンをひたすら連呼するというものだった。この態度は、わざわざナチスを引き合いに出すまでもなく、愚かな人々を味方につけるために考え抜かれた伝統的手法なのである。彼は人々を「愚かだ」と名指しこそしないが、彼の政治手法はまさに愚かな人々を狙い定めたものなのだ。


しかし、このことは正しく認識されていないように思われる。たとえば、とくらさんのブログのコメント欄で、次のような発言がある。

「知識格差下位の層ができて」いるという大衆を愚弄した認識そのものが、すでに無党派層に対するアプローチにしくじり、彼らから乖離していることを表明しているようなものです。

この発言自体はとくらさんが紹介している「「無党派層」の真実 − 自民党は本当に「分かりやすかった」のか」(@世に倦む日々)の最終段落での発言に向けられたものである。しかし、このコメント主の非難がthessalonike氏に向けられ、小泉に向けられないのはどういうことなのだろうか。このような非対称な態度は、このコメント主に留まらない。同様の「大衆を愚弄するな!」という主張は、根拠なく、方々で繰り返される。小泉の「郵政民営化!」と同じように。


実のところ、小泉と僕やthessalonikeさんにおいて、人々の知的状況についての認識に差はないのである。あるのは、愚かな人々を愚かなままに利用しようとするか、愚かな人々に愚かだとまず指摘するか、その愚かさに対するアプローチの違いである。愚か者として扱われることには反発せず、愚か者と名指しされることには我慢ならないという倒錯がそこにあるのである。

小泉や竹中が、最重要だという郵政民営化法案についてほとんどまともな説明をしていないというのは正しいが、それを理解するのは若干知識がいるかもしれない。しかし、次のことは、胸に手を当てて真剣に考えてみるならば、誰でもが分かるはずのことである。すなわち、「私は郵政民営化法案の中身を理解していない」ということ。そして、理解できていない自分が小泉を支持するのは、小泉のスローガンの歯切れよさであり、彼の態度のきっぷのよさであり、そういう中身とは何の関係もないものであること。これをちゃんと自覚することは誰にでもできるはずだ。これは知識の問題ではなく、誠実さの問題である。「私は知らない」ということを自覚すること。知らないはずの私が確信を持って支持を与えていること。その危険さを感じ取れない人こそが、やはり愚民なのである。

thessalonikeさんは言う。「政策とスローガンが区別できていない。政策とスローガンの判別ができるほどの政治的知性を最初から保有していない。つまり無知なのだ。」まったくそのとおりである。そして、このように言われることは、実に耳が痛いことであろう。しかし、忘れてはならないのは、小泉を支持しているあなた方は、当の小泉自身からそう思われている(=政策とスローガンの区別ができていないと思われている)のだ、ということだ。そして、彼は愚民を愚民のままにしておこうとしている。この点が僕などとはまったく異なる点だ。一体根源的な意味での愚民思想の持ち主とは、僕なのか、あるいは小泉なのか。

小泉にコミットすることに心理的に依存している人が、これを自力で自覚化するのは非常に困難だろう。バカと言われてバカさ加減に気づける人は、そういない。仮に気づけるとしても、しばしば長い期間を間に挟み、何かのきっかけでようやく気づくという程度のことに過ぎない。*1しかしそれでも、というより、だからこそ、愚かさを愚かであると指摘することが何より大事だと思う。「王様は裸だ」と言わねばならない。ここに言う「王様」とは主権者たる国民であることをも含めて、言わねばならない。*2


もちろん、ここまで言われても「愚民と思われててもいいもん」という人が当然にいるだろう。愚かさの基本戦術は撤退につぐ撤退である。だから、さらに次のように続けよう。あなたの愚かさが殺すのは、あなた自身ではなく、同じ社会に住む別の誰かを殺すのだ。それでも物を考えないならば、暴力の行使者として、対抗暴力を受ける覚悟を決めておくがよかろう。


追記:それにしても、「小泉が好き」と言えばいいものを*3、「小泉が分かりやすい」と言ってしまうあたりに、こういう人たちの自己イメージ、ハッキリ言ってしまえば「現実とかけ離れた」自己イメージが透けて見える。

追記2:今日のエントリは、「愚民が愚民でなくなる可能性のために」コメント欄のKIMさん、森さんへの応答にもなっていることを申し添えておきます。

*1:これは、僕自身の気づきのきっかけにおいてそうだった、という感覚から話しているのだが。人は知らん。

*2:「裸の王様」で言うならば、小泉の役回りはインチキ仕立師である。「郵政民営化の重要性は、バカにはわからないのでございます。」

*3:いや、言っている人はいるし、それじゃダメだともちろん思うわけだが。つまり、言っていることが事実を正しく表している、という意味で。