モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

「善意の皮を被った悪意」の言い分

普段僕のブログを見に来る人には何のことか分からないだろうけど、一応説明付きで。僕が普段チェックしている小児科医の方のブログ(『こどものおいしゃさん日記』)周辺で起こったこと。


顛末はこうである。とある研修医が自身のブログの中で「定職に着いたことはなく、親が死んでからホームレスとなった」人が患者としてやってきて、自分が稼いで払った税金はこういう人の医療費として使われるのか、と慨嘆した。これに対して、障害者を子に持つ小児科医の方が憤激して「偉い偉い研修医大先生へ苦言」と題する批判をされた。その後一回くらい応答しあった後、結果、批判された研修医氏はブログを閉鎖してしまった。というのがだいたいのところ。

今日になって、このやり取りについて別の方がブログにて批判されている。その批判に僕も首をかしげてしまうのだけれども、その中に次のように書かれているのはさすがに見過ごすことはできない。

僕としては、もうあまり追記すべきことはないので、↑を読んでいただければと存じます。この一連の言及は、yamakaw先生自身に対するものではなくて、その周辺でコメントされている「善意の人々」に一石を投じたものだったのです。あるいは、このWEBの世界に氾濫している「善意の皮を被った悪意」に。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20050904#p3

僕もyamakaw氏のブログのコメント欄に賛意を書き込んだ者なので、この記述は僕自身へも向けられたものだと判断する。


まず、fujipon氏が外していると思うのは、yamakaw氏の批判を「先輩医師から研修医へ」という文脈だけで見ていると思われる点だ。むしろ「障害児の親から社会構造への想像力なしに弱者への厳しさだけを一人前に身に着けている差別者へ」なされた発言として読まなければならない。他者を教え諭すというよりも、それは純粋に怒ったのだ。yamakaw氏の怒りの中の教え諭しにあたる内容にではなく、怒りそのものを僕は断固として擁護する。

障害を持つ者からすれば、障害者に対する不用意な差別発言が発せられるこの社会は、今すぐにでも立て直してもらわねば困るものだろう。もちろん、一朝一夕に世の中が変わるなどとは誰も信じていない。そんなことはありえないと知っていても、とにかく今、すぐに、切実に変わってくれと願うのも当たり前だ。障害児をわが子に持つ親とて同じことを願うだろう。

そのような現実の中で、飽きずに繰り返される差別発言を見て、キレるな、と言う方がそもそも無理だ。告発が相手を自殺に追い込む危険性を心配するならば、その差別発言を見た障害者たちはどうなのか。そちらは追い込まれないとでも言うのだろうか。その差別発言を見た障害児の親は、わが子の行く末を思って悲しい気持ちになるだろう。今この瞬間にも、将来を思ってわが子を手にかけようかという障害児の親が存在しうること、そのようなことさえ想像しないのだろうか。研修医のブログを読んでそのように決意する親がいるかもしれないことを、想像しないのだろうか。これはこじつけではない。なぜなら、実際に子を殺す親に向けられる言葉とは、件の研修医の発したような言葉なのだから。

もちろん、何もわざわざ怒れ、と言うのではない。誰に言われるでもなく、yamakaw氏が「もっと平和的な啓蒙の方法があったのではないか」ということを真剣に考えておられることは、コメント欄も含めた一連の書き込みを見れば分かることだ。改めて言うまでもない。しかし、それはyamakaw氏の問いである。第三者がどうこう言うことではない。だから、僕はyamakaw氏の憤激を、断固として支持する。それを「善意の皮を被った悪意」と呼ぶなら呼べばいい。それにしても、研修医の差別発言は「一つのミス」であり、それに対する憤激への賛同は「善意の皮を被った悪意」。この落差は何なんだろう。

ちなみに、上の話の「障害者」を「ホームレス」に入れ替えてもだいたい同じ。*1


それにしても、当事者と思える人が憤激するのでなければ問題のブログが真剣に批判されることはなかったのだろうか。そう思うと、改めてぞっとする。知れば知るほどに悲しい世間ではある。絶望もしないけどね。

*1:ホームレスになるのは基本的に不況のせいであって、その不況は単に金融政策の問題である。『不況は神罰ではない』参照。好況時には安価な労働力として散々頼っておきながら、行き倒れて病院に担ぎ込まれればお荷物扱いを受ける。理不尽ではある。