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それは本当に経済学から言えることか

id:mojimoji:20050822#p1で、跡田直澄慶応大学教授の発言をとりあげた。

郵便事業、貯金事業、そういうものを政府の役割としてやっていくということ自身は、私の習った経済学、普通の経済学ですけれども、そういうものからは全くあり得ないと私自身は申し上げたい。

こんな簡単にこう言い切れるのが不思議でたまらない。いわゆる「普通の経済学」をやっていれば、誰でもそう言う、という意味にしか受け取れないが、決してそんなことはないと僕は思う。


政府の役割の一つというのは、民が供給しないが誰かが供給しなければならないものを供給すること、である。民が供給しないものとは、「儲からないもの」である。誰かが供給しなければならないものとは、「人が生きていく上で欠かすことのできない重要な機能を与えてくれる財やサービス」である。

ここで、「人が生きていく上で欠かすことができない」というのは、もちろん、多少曖昧である。しかし、まったく議論ができない、というものでもない。それらの財やサービスのない生活というものがどういうものであるのか、それがあれば、生活がどのように変化するのか、そうしたことから私たちは物を考えることができる。そのサービスの提供を政府の責任とすべきかどうかは、実証的に考えられるべきことである。

郵政民営化で問題になっているのは、郵便・貯金事業ユニバーサルサービスだ。では、こうしたサービスは「人が生きていく欠かすことができない」と言えるのか。こう聞かれると、僕も断言できない。かなり無駄があるようには、個人的には推測する。しかし、その推測には根拠はない。それでも少なくとももいえることは、僕のあまり知らない地方部や過疎地についての生活の中で、郵便局がどのような役割を果たしているのかをきちんと考えた上でしか結論は出せない、ということだ。そういう地域から郵便局をなくしてもよいと考えるならば(たとえば跡田氏はそうだが)、そうした地域の生活の実態について、具体的に、記述的に、説明した上で、「だから、そうしたサービスを政府が支える必要はない」と言うべきである。あのように断言するのであれば、その根拠を言うべきだ。

跡田氏の主張は、結局のところ跡田氏の直感でしかない。先に述べたように、この直感を僕もある程度共有する。しかし、直感でしかないことは直感でしかないと自覚されているべきだ。思うに、経済学者が嫌われる原因の第一は、経済学から引き出すことのできないはずのことについて、そこに自身の直感や価値観が反映されているに過ぎないことについて、安易に権威主義的に主張することにあると思う。こういう人が、経済学者には実に多い。その直感でしかない考えを疑ったり実証しようと企てたりすることにこそ、経済学の可能性があると思うのだが。