モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

郵政・維持されるべきサービス水準をまず明らかにせよ

昨日紹介した竹中大臣の発言は、しかし考えれば考えるほど解せない。

移行期間終了後におきましても、銀行、保険にとっての郵便局ネットワークの重要性や、新たに自前の店舗網を大々的に整備するというのは膨大なコストがかかることを踏まえますと、全国一律の代理店契約が継続されて、基本的にはこれに基づいて各郵便局において引き続き預金、保険のサービスが提供されると考えられる。これはまさに民間のインセンティブ、動機としてそのようになるということが市場経済のもとで想定されるということ。

どう考えても、ユニバーサル・サービスの維持のために地方部の窓口ネットワークを維持することが民間企業の利益に適う、などというのはありえない。高コストな地方部でのサービス維持が企業利益に適うはずがない。そうすれば株主が黙っているはずはないし、株主を黙らせるのでは何のための民営化か分からない。では、民営化賛成論者はみんな竹中のように夢を見ているのかと言えば、そうではない。たとえば、今国会の衆議院郵政民営化に関する特別委員会の最終日に出席した参考人跡田直澄慶応大学教授に対する質疑を見てみよう。

○一川委員 では、次に跡田参考人にお聞きしますけれども、私は、先生の御議論はある面では非常にわかりやすいお考えだと思いますけれども、しかし、現実、日本の現状の社会をいろいろと見たときに、非常に難しい問題をたくさん抱えておるわけです。
確かに、民間であらゆることが、今いろいろな面で、いろいろな分野で事業が展開されております。そういう中で、できるだけ公的な官側の分野を減らして民間の領域をふやしていくということは、ある面では非常に大事なことなんですけれども、しかし、今ちょっと話題に出ましたように、地方の非常に厳しいところ、あるいは都会のど真ん中もそうかもしれませんけれども、経済の採算性、市場経済では勝ち抜いていけないようなところというのは当然出てきているわけですね。
そういうところに対する対応というのは先生は基本的にどういうふうにお考えなのか
ということ、そこのところをちょっとポイントを絞ってお話ししていただけますか。


○跡田参考人 きょう、最初のところで少しお話しした所得分配の公正という政府の役割のことに関する御質問かなと思います。
これは、あくまでも個人の所得の再分配、要するに、社会保障的な面は考えていくという、それが政府の役割として出てきますけれども、こういう経済的な事業を必ず政府が国民に保障しなければいけないという所得分配の公正の役割から論ずるということは、経済学の論理としてはあり得ない議論です。
社会保障というのは、やはり社会保障として、所得が稼得できない人たちないしは生活に困窮している人たちを助ける、そういう役割でございまして、郵便事業、貯金事業、そういうものを政府の役割としてやっていくということ自身は、私の習った経済学、普通の経済学ですけれども、そういうものからは全くあり得ないと私自身は申し上げたい。
経済の採算性がとれない地域に対して一体何をするか。これは、これまで、従来日本の国民に対して提供されてきた公共性というものを担保するという意味で、今回の法案の中にはきちんと設置基準を設けて、そのサービスが少なくとも維持されるということを保証しているわけですね。これをさらに経営委員会で事後も監視していくということになっておりますから、私は、普通の感覚からすれば、何ら問題はない、かえってまだ手厚い保護をしている。
これは、日本がこれまで社会保障面を事業的な展開に余りにもやり過ぎたために、その結果として今出ているのが、七百七十兆、八十兆という国債残高、長期債務残高というものになっているわけなんですね。ですから、今、構造改革というのは、そこをとめるということを何よりも重要な点として考えていただきたい。
そういう中でもこの郵政の民営化というものは位置づけられるというふうに思っておりますから、保証は保証としてある程度今回の法案の中にはありますし、しかし、原理原則からするならば、そういうものはこれから日本は徐々に縮小していくというふうに私自身は考えております。今の法案はそうはなっておりません。
以上です。


『第162回国会・衆議院郵政民営化に関する特別委員会・23(平成17年07月04日)』の発言59-60@国会議事録検索システム(赤字強調はモジモジによる)

そもそも<ユニバーサル・サービスの維持なんてやる責任はない>と述べているのである。その上で、<やる責任のないことを一応やると言ってはいるんだから、少しは手厚いんじゃないですか>といっているわけだ。この跡田氏も、民営化後にユニバーサル・サービスが維持できるとは主張しないし、そもそもそんなもの維持できなくてもどうでもいい、というスタンスでしかない。郵便・金融サービスへのアクセス権が、人の生活においてどれほど重要なものであるか、という視点はまったくないのである。

ユニバーサル・サービスを切り捨てるか、でなければ竹中のようにあり得ない主張を言う。賛成派が行き着くところはそのどちらかでしかないのだ。


まず、ユニバーサル・サービスとして維持されるべき水準を議論しなければならない。詳しくは知らないが、たとえば現状の郵便局の数は多すぎる、という判断は十分にありえると思う。その場合は全体としては郵便局の数を減らすことになるだろう。しかし、重要なことは、どれだけの範囲にどれだけの郵便局を配置し、最低限どれだけのサービスが維持できるのかを明確にすることである。そして、その水準については、国庫負担してでも維持することを明確にしなければならない。政府が最終的に責任を持つ水準を明らかにするのだ。それなしにどんな議論も不可能である。
それは、郵便・金融サービスへのアクセス権が人々の生活において果たしている役割について、実証的に考えることからしか始まらない。それぞれの地域社会において現に郵便局が果たしている機能は何であり、その中の何を維持しなければならないか。年金を受け取るためにはるかかなたの金融機関の窓口まで出かけていかねばならない山間部の老人たちの苦労をイメージしなければならないのだ。その苦労をケアするために、山間部の村々にまで郵便局を開設するのか、あるいは別の手段を用いるのか、それは議論は可能だろう。遠く離れた窓口までの交通手段に責任を持つ、というやり方でもかまわない。いずれにせよ、実際に生きている人たちの生活がどのようになるのかを具体的に描き出すように政策は説明されなければならない。

その上で、跡田氏に倣って「地方部、過疎地域のサービスは維持しない」と言ったっていいが、それならそうとハッキリ郵便局がなくなることを正直に言うべきだ。そのように正直に明言した上で、日本中で郵政民営化賛成議員が当選して国会にいくことになるならば、それは致し方ない面もあろう。しかし、今の政府は明らかにしなければならないその点をこそ曖昧にしている。それはつまり、なんら比喩的な意味を含まず、言葉の正確な意味において、国民を欺いているということに他ならない。