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「郵政民営化」という責任放棄

郵政民営化の論点とは、ユニバーサル・サービスの維持である。言い換えれば、「儲からなくても提供しなきゃならないサービスのコストを、誰がどうやって負担するのか」である。今回の郵政民営化法案とは、そもそもそんなサービスの提供などやめちまえ、というものでしかなく、つまりは公的責任の放棄である。


ここでの「官から民へ」とは、つまり「公から私へ」でしかない。


公企業本来の任務は黒字事業でありえない

市場には儲かる客と儲からない客がいる。民間企業は、儲かる客しか相手にしないし、それは仕方のないことだ。だから、儲からない客にも必要なサービスを提供するためには、とりあえず政府がやるしかない。郵政民営化の争点とは、現在、日本郵政公社が担っているユニバーサル・サービス(=儲からない客にもサービスを提供すること)の負担を誰がどのように負担するのか、である。

郵政三事業について言えば、儲からない客とは第一に地方であり、都市部に比べて相対的に人口密度の低い地域である。郵便にせよ保険・貯金にせよ、サービスの窓口となる支店開設のコストは大して変わらない以上、人口密度の低い地域は相対的に高コストになる。だから、民間企業は人口密集地でしかサービスを提供しない。第二に、特に貯金・保険事業の場合、一つの取引にかかる事務的コストはあまり変わらない以上、小口の客は儲からない客ということになる。小額の預金・小額の保険、こうしたサービスを必要とする客の相手をしている暇があったら、大口顧客だけをしっかり開拓した方がよい。預金数千万の顧客でも、数千円の顧客でも、口座開設の手間は同じ。だったら、大口客だけをしっかり相手にするのが賢い商売というものである。単純に郵便、貯金、保険を民営化するならば、儲からない客へのサービスは提供されない。しかし、これらが基本的な生活インフラである以上、民間がやらないからといって放置するわけにもいかないので、そうした儲からない客へのサービス提供に責任を持つ公企業が必要とされる。

公企業というのは、本質的に儲からないものなのである。儲からないからこそ公企業にやらせる以外にしようがないのである。公企業がコスト意識がなくて甘いからどーの、と民間企業原理主義を掲げる人は多いが、それは本末転倒なのだ。民間企業がいいとこどりをするために、公企業は最初から赤字を運命づけられているのだ。似たような構図は郵政三事業以外にもいくらでもある。たとえば医療。公立病院の多くが赤字であり、民間病院の多くが黒字である。「だから公立病院はコスト意識がなくて」どーのと言うのは早計である。現在の診療報酬体系の中でも、儲かる患者と儲からない患者がいる。儲からない患者とは、一つには手のかかる患者であり、いま一つはお金が払えそうにない患者であり、他にもいろいろあるかもしれない。いずれにせよ、儲からない患者の場合、民間病院は基本的には受けいれないで他所に回すように画策するし、間違って運び込まれたとしても「うちでは設備がどーの」と言って、紹介状を書いて送り出したりする。結局どこが受けいれるかといえば、それは公立病院でしかなかったりする。すべての医療機関が民営化されれば、儲からない患者を入れてくれる医療機関はなくなるだろう。公企業の第一の任務が、「儲からない客にもサービスを」というものであるならば、その任務に関わる事業においては、確実に赤字になる。

誰が公的責任のコストを負担するのか

問題はその赤字をどのように補填するかだ。1つの方法は(α)税金の投入である。いま一つの方法は、(β)公企業に「儲かる仕事」も兼業させて、トータルで黒字化させること、である。もちろん、現状は(β)である。それぞれ、メリット・デメリットがあるので順に考えてみよう。
(α)のデメリットは赤字が直接国庫に響くことだ。これは分かりやすいだろう。もちろん公企業であるから、公企業特有の非効率性がある。政府が赤字を肩代わりするのをいいことに、経営努力を怠って必要以上の赤字を垂れ流すかもしれない。それが嫌なら徹底的に監査すればいいわけだが、イタチごっこではある。まぁ、これはいたし方のない面もある。腹をくくってイタチごっこをするしかあるまい。これは同時に(β)のメリット、つまり「国庫負担なしにユニバーサル・サービスを提供できる」というメリットにつながっている。では、(β)のデメリットは何か。これは一見分かりにくいが、しかし、誰でも耳にしたことはあると思う。つまり、「民業の圧迫」というのがデメリットになる。公企業が公企業特有の特権を使って民間企業と競争した場合、これは強力だ。郵政三事業の場合は、郵貯簡保における最終的な政府保証であり、それによって民間銀行・保険会社に対して大きな優位を持っている。どのメガバンクも太刀打ちできないほどの巨額の預貯金高を保持しているのは、政府保証があればこそ、だ。民間銀行や保険会社は、本来ならば得られたはずの顧客を公企業に奪われることで、潜在的な損失を蒙っていることになる。

こうしたことを踏まえて透明性の高い、分かりやすい制度を考えるならば、公企業はユニバーサル・サービスに責任を持って儲からない客だけを相手にして、儲かる客は民間企業が自由に競争してサービス提供する、という役割分担である。当然、公企業は赤字を垂れ流す。それはもちろん、みんなの税金でまかなわなければならない。このようにした方が公企業と民間企業の役割分担は明確になるし、公企業には公企業特有の非効率性が内部に巣食うことになるだろうが、それでも監視すべき対象が限定されることで、監査による効率化圧力をかけることは可能かもしれない。現在の制度においては、ユニバーサル・サービスの提供コストは「民業の圧迫」という隠れたコストによって負担されていることになる。直接的には、それらの関係企業の潜在的な利益が減少していることになるが、ことはそう単純ではない。利用者としての私たちも潜在的にはより高い料金を支払っていることになるし、雇用関係等々を通じた効果を考えても個々の効果は複雑多岐にわたっている。関係企業の損失に還元しきれない社会全体としての負担が実際には存在する。この不透明さは確かに問題ではあって、以上のような考え方からすれば、郵政三事業の民営化は、長期的にはなす方が望ましいとは思う。しかし、ユニバーサル・サービスの維持は大前提である。

ユニバーサル・サービスの維持を前提とした場合、郵政民営化が意味することは国庫負担の増大である。ここが勘違いされているように思う。民業圧迫は確かに解消したいが、そのための国庫負担の追加が現状で可能なのかどうか、というのがそもそも問題なのだ。民業圧迫の解消の結果、企業収益や人々の所得が向上し、それによってもたらされる税収増がユニバーサル・サービス維持の財源を満たさなければならない。そうならないならば、私たちの税負担はそれ以上に増えることになる。ユニバーサル・サービス維持を真面目に考えるならば、そうなる。とすれば、そもそも既に財政が厳しい状況において、これほど慌てて実施しなければならない政策には本来なりえない。

政府の本音は公的責任の放棄

では、当の政府は、このユニバーサル・サービスについてどう考えているのだろうか。それは、たとえば、国会質疑における竹中大臣の次のような応答から伺い知ることができる。(質問者の小泉龍司議員のサイトより)

○小泉(龍)委員 それでは、今のお答えを踏まえて各論に入りたいと思いますが、金融ユニバーサルサービスが廃止をされてしまう、国がそれを放棄するということをまずよく国民に説明していただきたいと思うわけでございます。

郵貯法、簡易生命保険法を廃止いたします。郵便局の定義というのは、郵便窓口業務を行う営業所ということになります。この廃止される六本の法律があるわけですけれども、これらの法律は何のための法律か。それは、金融ユニバーサルサービスの提供を国に義務づけるための法律でありました。まだ法案が通っていないですからまだ生きてますけれども、法案が通れば廃止をされてしまう。

郵便貯金法第一条、「この法律は、郵便貯金を簡易で確実な貯蓄の手段としてあまねく公平に利用させることによつて、国民の経済生活の安定を図り、」云々と、これをやめてしまえば、今まさに大臣が直前の答弁でおっしゃったけれども、政府の負担は軽くなるんですよ、国の負担は軽くなるんです。もうぴたっとそのとおり今答弁されました。でも、困るのは国民なんですね。そして、困るのは十年後以降の国民なんですね。ここにいる方々はもう功成り名遂げて悠々自適かもしれませんが、さらに高齢化が進む、さらに過疎化が進む、さらに貧富の差が広がる十年後の日本の社会を想定していただいて、この金融ユニバーサルサービスをなぜ切り捨てるという判断を今しなければならないのか、その明確な理由をぜひお答えいただきたいと思います。


○竹中国務大臣 委員は国民が困ることになるというふうにおっしゃいましたが、実は我々は国民が困らないように郵政の改革をしております。政府がやれば国民は困らないのか、そんなことはないわけです。政府が何でもかんでもやって、それで経済効率を下げて、かつ、それの非効率が赤字という形で国民負担になれば、それは政府が困る。だから、政府のあり方というのはできるだけ小さく効率的にしていくことが、私は、国民が長期的に困らない最大のポイントであると思います。

同時に、今回の郵政に関しては、直接、この地域のサービス等々でも、国民が困らないように、この点に関しては本当に与党からさまざまな御指摘をいただいて、国民が困らないような制度設計をさせていただいているつもりでございます。

・・・・・

このように、民営化に当たっては、一般の金融法令に基づいて純然たる民間企業として業務をしていただく、その中で活力を発揮していただくということを考えているわけでございます。これは、民間と同様の経営の自由度を持っていただいて、それで国民が必要とするサービスを提供していただくということをも意味しております。

ただし、今申し上げましたように、これはもう、与党から本当に熱心な御議論を踏まえて多々御指摘をちょうだいいたしました。これまで全国津々浦々の郵便局において預金や保険のサービスが提供されて、それがそれぞれの地域の人々の生活を支えてきているということは、この重みは我々政府としても十分に認識をしているところでございます。

このような観点から、与党との合意も踏まえまして、この法案では幾つかの制度設計、工夫をしております。

繰り返しになるかもしれませんが、銀行と保険に対して免許を法律でみなし付与するに当たりまして、最低限移行期間をカバーする安定的な代理店契約、保険募集契約があることを免許の条件として付す。これによりまして、移行期間中の郵便貯金銀行と保険会社の郵便局会社への業務委託が担保される。これが第一のポイント。

そして、第二のポイントとしましては、移行期間終了後におきましても、銀行、保険にとっての郵便局ネットワークの重要性や、新たに自前の店舗網を大々的に整備するというのは膨大なコストがかかることを踏まえますと、全国一律の代理店契約が継続されて、基本的にはこれに基づいて各郵便局において引き続き預金、保険のサービスが提供されると考えられる。これはまさに民間のインセンティブ、動機としてそのようになるということが市場経済のもとで想定されるということ。

そしてその上で、仮に過疎地などの一部の郵便局で貯金、保険のサービスの提供が困難となる場合には、例の社会・地域貢献基金を活用して、地域にとって必要性の高いサービスの確保を図るということにしているわけでございます。

まさに委員御指摘のように、それによって国民が困らないように入念な制度設計を行ったつもりでございます。

http://www.ryuji.org/documents/20050531_yusei.html

問題は、竹中の言う「第二のポイント」というもの。(赤字強調したところ)


これだけ読むと分かりにくいと思うが、簡単に言い換えれば「銀行、保険においては支店ネットワークは重要であるから、民営化しても地方の支店を維持することが民間企業としても利益に適うので、自発的にそれらの支店を維持するはずだ」と想定しているという話である。この話が本当なのだとしたら、民間銀行は日本全国通津浦々、新規支店を競って開設しまくっているはずなのだが、そんなことは当然ない。どこの銀行も支店を統合したり廃止したり、ネットワークの合理化に余念がないのである。今回の郵政民営化法案が金融ユニバーサル・サービスを維持できるとする担当大臣の持ち出す根拠というものは、このくらいには反事実的である。

その上で、「困難となる場合」の支えというのは、「例の社会・地域貢献基金」なるものである。これは、あらかじめ2、3兆円のお金を基金にストックしておいて、その運用益で過疎地の支店維持費を捻出しようという夢みたいな話である。ノウハウも実績もない新設基金がいったいどれだけの運用益をあげられるというのだろうか。もちろん、「大丈夫だ、やれる」というだろう。しかし、ここでの肝は「最終的な政府の責任だけは口にしないこと」である。竹中にとって、この基金が役目を果たしきれるかどうかは、もはやどうでもいいことでしかないようだ。


結論を言えば、政府は、ユニバーサル・サービスの維持など真面目に考えていない。民営化された郵貯企業等々が地方のネットワークを維持する、社会・地域貢献基金が十分な運用益をはじき出すことができる、という主張そのものを、主張している当人たちが信じていない。もし信じているのならば、最終的に実現できないならば国庫負担をする、と約束するはずだがしかし、竹中をはじめ政府関係者は、最終的な政府の責任だけは口が裂けても言わない。

以上のことから、今回の民営化法案が実現した暁には、間違いなくユニバーサル・サービスを維持することはできない。そもそも政府はその気がない。それは制度インフラの破壊でしかないのである。

では、なぜそんな政策をあわててやろうとしているのか

とすると、まぁ、こんなところしかないのかなぁ、と僕も思う。

郵政民営化で350兆円が奪われるか?@1喝たぬき
http://1katutanuki.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/350_6b7c.html

こんなものが「改革」と呼べるわけがない。