モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

青色発光ダイオード開発の対価

 開発者・中村修二氏が和解への不満をぶちまけた記者会見の品のなさに辟易はしていたのとは別に、この問題がまずは分配問題であるということはきちんと認識されているのかが気がかりだったのですが、とても分かりやすいエントリがありましたので紹介いたします。

 それはそのとおりですが@吐息の日々〜労働日誌〜
 http://d.hatena.ne.jp/roumuya/20050115

 規範的な話としては、労務屋さんの整理で完璧だと思います。では、その分け方は実際どのようにするのが妥当なのでしょうか?と同時に、どのような分け方が実際に可能なのでしょうか?とりわけ二つ目の問いはかなり厄介です。

 つまり、こういう話です。研究者をある程度優遇されなければ、より待遇のよい報酬体系をもつ国に逃げてしまうでしょう。商品化する人や販売・営業をする人たちも、一応理屈の上ではより待遇のよい報酬体系をもつ国に逃げてしまうでしょう。理屈の上では対等ですね。しかし、実際のところ、後者はそうした能力を持つ人が大量に存在するような一般的能力であるのに対し、研究者の方はとりわけ能力のある人となればもっとも希少な存在ですから、その希少性を存分に反映させることができれば、市場では最強の交渉力を持つことができます。それぞれが持つものはそれぞれが持つものとして前提条件にしてしまい、あとは市場で決めましょうということになれば、市場が反映する分配が選ばれることになります。

 「それじゃ研究者は取りすぎだよ」ということで、研究者の取り分を少なくするならば、そういう調整をしない別の国に研究者は逃げていくことになります。とすると、一番交渉力のある人が、一番高い報酬を得られている国の基準に徐々にひきつけられていくでしょう。それがどこかと言えば、僕の聞きかじりの知識に基づく勘によれば、それはどうもアメリカのことになるようです。そんなわけで、虎の威を借る狐ならぬ、アメリカの威を借る中村さんが現われてしまうわけです。中村さんが言いたいことは、「我々は市場では最強の交渉力を持つのだから、躊躇うことなくそれを行使すれば、望むとおりになるよ」という煽りであり、その意味では本質を捉えています。結局、「市場が実現する分配率がすべてであり、何を言われようと、長期的にはそっちに合わせることになるよ。合わせないなら、日本が没落していくだけの話さね」ということなわけです。

 というわけで、市場の決定する分配率と異なる分配率を実現することはいかにして可能なのか、というのが考えなければならない話となってきます。とりわけ、国境線とそれを超えて移動することが可能であるような人たちに対してどうなのか、と。(以上は、立岩真也さんが既に指摘している話でもありますね。「選好・生産・国境──分配の制約について」とその関連資料集。)


 で、実際、アメリカだったらいくらくらいもらえる計算になるんでしょう?中村氏の態度を素直に読むとするなら、50%はないとしてもかなりもらえそうな雰囲気なんですが。アメリカにおける研究者の開発対価も和解案と同じく5%程度だったらおもしろいですね。