モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

運動を批判することと担うこと

 現状の社会運動の中にいろいろと問題があるのは確かなのだけど、それを修正したら運動が広がるか、というと、僕は違うと思う。確かに、運動に参加しない理由として既存の運動への不信感を表明する人は多いのだけど、それを真に受けてはいけない。

 たとえば、「既存の運動に不信感があるなら、ご自分で別に立ち上げたらどうでしょうか」と水を向けるとどうなるか。ほぼ確実に口ごもるし、少なくとも、あまり明快な返答はこない。さらに突っ込んでいったときに出てくるセリフというのは、「実際に運動を担っている人にはそのことによって別の責任が生じる」とかなんとか言い出す人すらいる。このあたりになると、理屈としてもかなり苦しい。

 つまり、こういう人達というのは、やらないための言い訳を捜しているわけだ。口悪く言えば、運動家が自己批判をしている間、自分たちはほっといてもらって安穏としていることもできるから。独善的でかなり決め付け気味の言い方になるけれど、運動を批判する人たちがこうした独善的な決め付けを否定する材料を持っていないことも事実ではある。

 コアな運動家と運動に参加しない人達の狭間で僕がどう振舞うかについては、こうした認識がベースになっている。コアな人達に意見を述べたり、いろいろなことを再検討してもらうことも必要なんだけども、運動を担ってはいない人達から批判がきたときにはまず「そういうオマエは何をしてるんだ」「まずは負担を負う人たちを思いやれ」と述べることが大事だと考えてる。でなけりゃ、少なくとも、僕が彼らの立場ならやってられない。

 それだと、新規参入者が来なくなるじゃないか、という危惧があるかもしれない。しかし、僕の経験上、運動が問題あるからやりません、と言う人で、自己批判したから参入します、といってくる人は今まで一人もいない。運動の現状を批判することと自らが運動に何らかの形で参与することは論理的に独立の話だから(つまり、運動の現状を批判しながら運動そのものは別でやることは可能)、その問題が自分の問題だとほんとに理解されているなら「好きにしてくれ」と言うセリフなど出てくるはずがない。現状がどうだろうと、その人なりによそでできることはあるはずなんだから。ぶつぶつ文句言いながらデモにはくるとか、FAX抗議するとか、あるいは別に運動を立ち上げるとか。逆に言えば、現状の運動の問題を言い訳にして独自の活動すらしない人は、運動側が自己批判したって戻ってこないし、我慢して誠実に対応したってやらないものはやらない。だから、そういう人達へのマーケティングに頭を痛めるのはバカバカしいし、何よりそのせいでコアな運動家のやる気を殺ぐのはもっとバカバカしい。

 だから、自腹切って前に出てる奴は、マーケティングなど気にせずに思うとおりにやればいい。もちろん、それ以上であってもいい。そうやって愚直に言い切ってしまうことは大事だと思う。