モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

立岩・後藤トークライブ&懇親会覚書

 立命館に行ってきた。立岩真也さんと後藤玲子さんのトークライブ。話はいろいろと錯綜していて、**について話してきた、という風にはまとめにくい感じ。印象に残ったこと、課題として残ったことなど備忘録的にまとめておく。

 西川長夫さんの発言から「搾取」という言葉が話題になった。

  • 「搾取」という概念が使われるときの、概ね共通した意味としては、「他者の受け取るべきものを別の人が不当に受領すること」というようなものになるだろうけれども、そういう概念を定義しようとすると極めて困難(今までの感触からすると不可能じゃないか)という話をした。
  • 西川さんから重ねて質問があり、たとえば国際間の賃金格差、たとえば極端に受け取りの少ない労働者の存在など、こうした現象の中を搾取とはいえない、ということかという(主旨の)質問を受けた。
  • その状況を問題だ、と言うべきだとは思うが、それを伝統的な用語法としての「搾取」概念では捉えきれない、そもそも不当取得という意味での搾取の定義が難しいので、別のやり方で説明するほかない、と答えた。(ここらへんは、僕の発言を受けて立岩さんが手助けしてまとめてくれた。)
  • ただし、(僕も含めて)そういう分析を経済学者はやっていない。(オチがついてしまった・・・。)

 考えてみると(てゆーか考えてみるまでもなく)、西川さんの指摘した状況を叙述する言葉すら経済学は生み出しえていない。これは経済学に関わる者としては恥じなければならない状況だろうと思う。関連して、Sさんという方から「バンパライス(という哲学者?)がほとんど同じような議論をしている」という紹介をいただいた。基本所得を巡る論争では最近注目の人らしい。翻訳を進めているとのことで、その訳を見せてもらえることになった。これは収穫。*1研究室に積んである『アナリティカル・マルキシズム』も確認すべし。ただし、「搾取」という概念がとりあえず定義困難あるいは不可能であるということは、裏返せば基本所得構想のような再分配を肯定する議論に対する「搾取の正当化」という批判も実はかなり困難な状況に陥ることを意味する。これはこれでおもしろく、搾取の定義の困難さにはいい面もある(誰にとってだ)。


 市場で決定される所得というものの意味について。以下は主に僕の考え。

  • Aが自らの特殊な技能を高めて、それによって労働市場で高い評価(つまり高い賃金)を得ようとしたとき。きわめて多数の人たちがAと同調した行動を取るならば、実はそれほど評価は上がらない。そうでもないなら、もくろみどおりに上げる。
  • あるいはAの鍛えた技能がそれほど需要されなくなったとすれば、どんなに高い技能を持ったとしても、そこにつけられる価格は下がっていくこともありえる。
  • 自分の努力や才能だけでは賃金は決まらず、多数の経済主体の行動・変化に翻弄されながら「たまたま(by 後藤玲子さん)」そのように価格がついちゃう。そんなもの。
  • さすがにそうした「先見の明」までコミで市場の評価なのだ、というのは強弁に過ぎるだろう。
  • 市場の評価を絶対視しなければならない根拠はないわけで、ある程度格差をならしたって構わない。

 ミクロ経済学からストレートに出てくる感覚というのは、「賃金がその人の労働の価値を反映するという考え方をミクロ経済学は否定している」ということだと思うのだが、実はミクロ経済学を専門に勉強している人の中でこういう感覚が共有されているとはとても思えない。むしろ、逆の含意がある考える人すらいる。これは僕にとって不思議なこと。


 障害者の福祉的就労について。昨晩語ったこととは若干異なって、後付けの修正を含む。

  • そもそも「福祉的就労」という言葉自体が、福祉的就労する人への蔑視を持つ人が作った言葉のような気がする。(これは言わなかったけれど、今思うと、「セックスボランティア」みたいな、なんか概念としてそぐわないものがつながっている感じがする。)
  • 同じクッキーを作るとして、単位時間あたりの生産量においてAがBの3倍作れるというとき、AはBの3倍の賃金になるとして、それは否定できないところがある。
  • ここで無理に同一賃金にせよという圧力をかけると、そもそもBは雇用されない。企業を法で縛ることによってはこれは解決しない。
  • 先の「賃金がその人の労働の価値を反映しない」としても、それは、それと無関係の支払いをしても万事うまくいくという意味ではない。
  • 障害者の生産性が低いなら、低いなりの賃金を出すことまでしかできない。障害者雇用を行う企業に補助金を出すくらいなら、基本所得のようなものを直接渡す方がいいのではないか。
  • てゆーか、法と経済学の領域の人達は、こういう研究をしろよ、と。かなり思う。


 社会保障と労働のインセンティブについて。

  • 立岩さんの質問に答えて後藤さんがミクロ経済学的な分析をレクチャーしてた。
  • とりあえず絵的にたのしかった。
  • 「労働インセンティブなんて考える必要ない」というのが後藤さんの意見で、立岩さん大喜び(笑)
  • 一応、「ほんとにその説に乗っていいのか?」という留保つき。

 個人的にもちょっと考えてみたけど、僕も考えなくていいんじゃないかと思う。社会保障をすることは労働インセンティブに影響を与えるけど、それが問題だと言うならば、実は社会保障をしないこと自体にも問題があって、逆・社会保障をすべきだ、という話にさえなりえる。つまり、労働インセンティブの問題は、社会保障にまつわる問題だけど、それをやるかやらないかという問題とはまったく独立の問題であると、多分言える。これは僕の現時点での直感的見通し。

 ちなみに、同日、安倍某も立命館に来てた模様。ノーコメントですが。

*1:家に帰るとさっそくメールが来てた。これは恐縮。