モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

経済学と多文化主義

http://d.hatena.ne.jp/nozakiy/20041105へのコメントとして。

 経済学が所与にしているのは「多文化主義」なんでしょうか?後藤先生に限らず、経済学者でそういうこと言う人多いんだけど、僕はちと変だと思ってます。たとえば、性を親密さの中に置こうとする人がいて、その人の性のあり方はその人の「文化」にあたるものだと思うけど、それすらも状況次第では値段をつけて市場に引きずりだされざるをえないわけです。大抵は、文化にも価格がつけられて、その人の生存のようなものと比較されるような状況では、その文化も捨てられざるを得なくなることがある。一応、守るべき文化をまず定義し、法的にも保護した後で、「後は自由市場経済でどうぞ」という理屈なら、多文化主義を前提した経済学を考えることはできますけどね。けど、そういうことを考えている経済学者は実際にどれだけいるのか、と。

 経済学はそういうことについての価値判断をそもそも停止していて、自力で市場の圧力の中で生き延びる文化についてはその内容を問わないけど、市場の中で生き延びられない文化(つまりは、その担い手が経済的にやっていけなくなって、手放される文化)についても、やはり内容を問わない。つまりは、結果として文化が守られるかどうかは、その文化の担い手の初期条件と、資源の相対的な希少性、個々人の効用関数の形によって内生変数として決まります。これはリベラリズムです。現実の経済学者は、実際にはこの立場です。後は、各人の固有の道徳観・価値観によって多少のバリエーションがありますが、大抵は、その人が持っているものがそのまま反映されているだけです。

 そもそもリベラリズム多文化主義を混同しているのではないか、とすら思ってしまうのだけども、実際どうなんだろう*1

(11月7日註:nozakiyさんがトラックバックしてお返事くれてます。↓参照。)

*1:ちなみにリベラリズム多文化主義の違いについては、僕は『多文化主義のアメリカ―揺らぐナショナル・アイデンティティ (アメリカ研究叢書)』に載ってた井上達夫さんの論文で読みました。多文化主義だと、確か少数派の文化の保護など、市場に介入するような方策を採ることまで主張されてるはず。