モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

書評巡り

 今朝は結局5時前まで記事書いてました。
 本日は一日姪っ子にお付き合い。言葉も通じないし(台湾人ですから)、元気ありすぎだし、へとへとです。体力の衰えを実感させられてなかなか辛いものがあります。

 http://mystery.parfait.ne.jp/wiki/pukiwiki.php?%B2%CF%B9%E7%B9%E1%BF%A5の『セックスボランティア』に関する書評をざっと目を通してきました。
 個人的に一番共感したのはhttp://kaoriyama.jugem.cc/?eid=29。「だが、著者もわたしも思う。恋愛によって得られる満足感はいらないのだろうかと。」と書かれているが、この一文に対して「いらないよ」などと答えることは的を射ていない。いらないならいらないのでもいいが、「とりあえず性的サービスから得るものと性愛も含めて私たちが強く結びつくパートナーとの関係から得るものはとりあえず別物だよね?」っていう問いかけとして受け止めるべきだと思う。
 改めて思うのだけれど、性に関して何かが言われるとき、この2つって相当安易に混同されているように思う。別に、前者は低級で後者は高級だ、とも言わない。前者はなくすべきで後者だけがあればよい、ともとりあえず言わない。ただ、これらは別のものだ、というのは何度でも確認しておいた方がいいと思う。


 他には、「私にはセックスボランティアなんてできるだろうか?できない。やっぱ難しい問題だ」というような感想は結構あちこちで目にした。そりゃ、できなくてもしょうがないだろう。けども、それは難しい問題か、といわれるとそりゃ違う気はする。
 たとえば排泄物の処理は僕なんかも決して好きではないが、これは誰かがやらなければどうにもならない。これに対して、性的サービスから得られる性的刺激に関して言えば人間が生きていく上で不可欠なことではない。これを出来る人がいないなら誰もやらなくてもいいんじゃないか、という程度のことだ。あえて言うけど、僕はこれについては諦めればいいだけの話だと思う。仮に恋は諦めないとしても、たかが(と言い切ってしまう)性的刺激、僕には排泄物処理の問題の方がずっと重大で難しい問題に思える。

自己レス。

 「難しい」の意味がアレだな。障害者の性処理の問題ってのは、「難しい問題」なんだけど、重大な問題ではないんじゃないか。という問題提起。障害者の性の問題は、(性処理とは違う意味で)難しくかつ重大な問題(性と性処理で何を区別しようとしてるかは分かると思う)。で、排泄処理は、(性処理と同じ意味で)難しく、かつ重大な問題。ややこしいね(笑)。