モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

気軽に出かけていこう。

学生に頼まれて文章を書いた。顧問をしているボランティア・クラブの年報(文集みたいなもん?)に載せるらしい。
学生に言うべきことといったら、およそ説教以外のことはまったく思いつかないのだけれども、普通に説教をしたところで白けるだけなのは100%間違いないのであって、もはや説教としての効果すらないのは明白。だからといって彼らを喜ばすようなことを言うのも無意味なわけで、そういう心にもないこと言うくらいなら豆腐の角に頭をぶつけて死んだほうがマシ(古典的な言い回しだ)である。けども、頼まれたは7月の中ごろで、既に2ヶ月半が過ぎてしまっている。いい加減書かなきゃマズい。
結構必死になって書いてみた。嘘のない気持ちをできるだけキャッチーに書いてみた。関係ないが、春闘がそろそろ大詰めを迎えていて(もう秋なのに春闘だとよ)、労組の執行委員的にはすこぶる忙しいのだけども、その間隙を縫っての時間のやりくりはなかなかにしんどかった。火曜日の団交の最中にも草稿をチョコチョコとメモってたのはヒミツ。いつだったか、団交の最中に寝たこともあったなぁ。まぁいいや。
というわけで、文としての出来不出来はよく知らない。読み返すと書き直しが面倒なので、そのまま学生に送った。不満があったら送り返してくれ、といってある。まぁ、まともな学生なら教員から送られてきた文章にダメ出しなんて恐れ多くて出来ないだろうに、われながらタチが悪い。何はともあれ、↓に全文引用。読んで腹抱えて笑ってもらえたら本望。


気軽にボランティア。これは正しい気もするし、何か違っている気もする。
どこでどんなボランティアをするのはかは知らない。けれども、人が生きている場所に出かけていって触れ合うならば、そこには気軽なことと同じくらいたくさん、気軽ではないこともある。
いつもたのしく遊んでいる友人のところに出かけていく。そして他愛もない話をする。気軽そのものだ。しかし、行ってみると友人が可愛がっていた犬が死んで友人が泣いていたなんて場面に出くわしてしまって、ちっとも気軽ではない雰囲気の中で友人を慰めたりもするのだ。こんなところで気軽に振舞っていたら、ただのバカである。こういうことはどこに出かけていったとしてもあるわけだから、ボランティアとて例外ではない。だから気軽にというのは「違っている」と僕は感じるところがある。

こんなとき、正直に言えば「面倒なところに出くわしたなぁ」と思わないでもない。けれども、その友人の悲しみに触れて自分自身が揺り動かされることもある。新たな発見をすることもある。実は、そうして揺り動かされることの方が、僕らにとっては後々まで残る大事な経験だったりもする。僕らの人生を刺激的な方へ、豊かな方へ揺り動かすような出来事は、大抵の場合、出来事それ自体としてはあまり出会いたくないような事だ。あらかじめ知っていたら避けただろう。しかし、そういうことをすべて避けていたら、僕らの人生はちっとも豊かにならないこともまた、確かだと思う。
犬一匹で大げさだと思うだろうか?確かに大げさだ。しかし、犬の例は軽めの一例に過ぎない。もっとヘビーな出来事はたくさんある。具体的には書かない。皆さんが自分の足で出かけていって出会って欲しい。

だから、気軽にボランティアに出かけていこう。その意味でこれは正しい。
別にボランティアじゃなくても構わない。気軽に出かけていった先で、人生を変えるような出来事に出会うかもしれない。むしろ、気軽に出て行くからこそ、たくさんのものに出会い、だからこそ人生を変えるような数少ない出来事にも出会うことが可能になる。それはきっと皆さんの経験を豊かにしてくれるはず。徹頭徹尾気軽なのはバカだけど(注意せよ)、僕らがチャレンジするために必要な気軽さってのはある。
出会うことがなければ、何も始まらないのだから。