モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

justice

風刺画問題・他者に向き合うということ

【追記02/20:本エントリの主張について、t_keiさんがもっと丁寧に説明してくれてましたね。オススメ。 → http://d.hatena.ne.jp/t_kei/20060212 】 この問題についてはいろいろ迷いがあったのだけども、つい先ほどhokusyuさんからいただいたTBに触発されて…

野宿者支援闘争、今後も続く(一旦、まとめ)

別の運動で、「勝つまでやめなければ負けない」という、悲壮なんだかノー天気なんだか分らないことを言った人がいたが、しかし、この不思議なおかしみを感じながら、やはり負けられない/やめられない戦いであることを確認しておきたい。 1月30日朝8時よ…

 根源的な問いを回避することについて(1)

稲葉振一郎さんのコメント、「そういうバカでてきていない小人もだましてなだめすかしておだてて使うことが必要です」に関連して。

いつかどこかで見たような手口

REV氏の「"先に経済学ありきではない"」に僕からのTBへのコメントが追加された。このようなことを言う人は、いつも同じようなロジックを使うのだなぁ、といろいろな意味で感慨深い。

留保のない生を肯定するか、さもなければ

新年最初のエントリです。 x0000000000さんが「http://d.hatena.ne.jp/x0000000000/20060122/p4」というエントリを立てている。この見解にはまったく同感であるが、このように言い返されてしまうのも、今のご時世ではある。というわけで、まったく同じ事を、…

手続的正義の空虚さ──2つの旧植民地ハンセン病訴訟判決

「台湾の原告の訴え認める 旧植民地ハンセン病補償訴訟」@asahi.com 台湾訴訟の判決は「補償法は、広く網羅的に入所者を救済しようとする特別な立法」「国籍や居住地による制限もないと理解するべきだ」と指摘。「入所施設が台湾にあったというだけの理由で…

きはむ氏への応答

いくつかTBをいただいているが、一応の返答をしておく。いろいろ誤解が混じっているようだが、とりあえず言いたいことは二つ。 きはむ氏の選択している生き方は僕の言う正義を必要としないので、その時点で議論は終了していると言える。 というわけで、個…

理由なき投票という通り魔的暴力

道端で見知らぬ誰かに殴り倒されること。これを理不尽ではないという人はいないだろう。では他方、自らを殺すような政策を標榜する政権に支持を与え、その実現に寄与すること。これと「道端で見知らぬ誰かを殴り倒すこと」との違いを考えてみよう。

愚民とは、説明を要求しない人のことである

「愚民が愚民でなくなる可能性のために」のブックマークコメントとして、t-keiさんという方が「「愚民」や「民主主義の終焉」という表現に対する、良心的な素振りをした批判や、冷笑が蔓延する気配がある」と書かれている。これは僕の述べたかったことを極め…

説明なき民意なんかに価値はない

これは小泉派にも反小泉派にも言えることなのだが、「民意」というものの位置づけにやたらとブレがある。信念にしたがって郵政民営化法案に反対したはずの自民党の参議院議員たちが、「民意に従う」などとほざいて賛成に回ることを明言している。野田聖子も…

政治における多様性・新自由主義などいらない

多様であることが即ちよいことである、と僕は考えない。というと語弊があるかもしれない。正確に言えば、多様性とは何の多様性なのか、ということが問題にされねばならない。いつまでも同じようなレベルでの多様性でよいのか、という問いは大事だ。一言で言…

愚民とは、殺す相手の顔を見ない者のことである

実に腹立たしいと思うことは、選挙以降に政権が行うことについてまったく責任を負う気がない奴らを見ることだ。その選択はその時点での「それぞれの個人の考えだから、それでよいではないか」といい、その正当性は永遠に疑問に付されることのないものとして…

愚民が愚民でなくなる可能性のために

前回のエントリだが、さっそく次のように誤読されている。 「反自民ブログに見られる、ある傾向」@ti-landmark.com

どうしようもなく差別者であることと向き合うこと

あえて「実感のない理念」と呼ばれるものを振りかざしてみる。

神々の争いについて

1日の日記にこんなことを書いた。 あらゆるレベルで行われている実証のための努力を差し置いて、安易に「神々の争い」などと言うべきではありません。神々の争いとは、「24時間介護保障がなければ死ぬ」「ああどうぞ死んでください」という類の対立のことを…

再開と宿題その1

お久しぶりに再開しようと思います。いつからしようかなぁとは4月頃から思ってはいたのですが、これはこれで結構時間をとられるので先延ばしにしておりました。このブログについていろいろ問いかけてくださった方々に感謝します。今回ゆえあって以前のやり…

道徳の算術から道徳哲学へ

救助隊員のあなたが、沈没事故の連絡を受けて現場に急行したとしよう。ところが、救助隊員のあなたが乗っている船には一人分の余裕しかないのに、現場では二人の人間が溺れていたとしよう。・・・ いつも不思議なのは、人間の生死は最も重大な問題であるはず…

誰にとっての「歯止め」なのか

道徳? 道徳!@note of vermilion http://d.hatena.ne.jp/jouno/20050218 の、以下の記述について。 最近、id:mojimojiさんの議論を見ていると、たしかに、かつて東浩紀がかたったような責任の無限の拡大という危険もふくめてあやういところがあるんじゃな…

番組制作者と取材対象

バウネット・ジャパンの1月26日緊急院内集会の音声を入手する@愛・蔵太の気ままな日記 http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050212 1月26日の集会の音声が聞ける。音声とはいえ公開することについてVAWW-NET-JAPANの了解が取れているのか、取る必要のな…

慎重さと大胆さ

あえて民衆法廷について語ってみる@梶ピエールの備忘録。 http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20050123/p1 この原稿は2週間ほど寝かせてみたのだけど、自分の考えは基本的にこれで書けていると思うので、出してみようと思う。kaikajiさんは尊敬する先輩の一人…

無限のコミットメント/無限の自助努力

mojimojiさんへのお答え2@bewaad.com http://bewaad.com/20050208.html#p02 いくつかお答えしておきたいことがありますので。 (2005/02/19追記 分かりやすいように幾つか小見出しをつけました。)

女性国際戦犯法廷の意義(より内在的な見地からの擁護)

ここで疑問に思うのは、賠償金という実益に適う救済が既に閉ざされているという状態で、コミットしていく(理解して励ましていく)というのはよいのですが、「法廷」などといったものに被害者を引っ張り出すというのは、果たして被害者の救済になるのでしょ…

botaroさんに答える

この間、僕の考え方も微妙なところで右往左往しているし、擁護するとしても可能な複数の位相で弁護が可能であるからそれらの間をやはり右往左往しているし、新しく知ったことや思い出したこともありながらやはり言うべきことの微調整みたいなものもしている…

リスクを背負う人とそれを後ろから撃つ人

提起された問題に対して第三者がどのような態度を取るべきかについては、いろいろ難しい論点があるのは確かである。従軍慰安婦問題を問題化しようとする人たちの行動の多くについて、僕は惜しみなく支持を送りたいと思うが、それを慎重さを欠いた無思慮な態…

正義の回復と取引費用負担ルール

生きられる権利/生きられる幸運 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20050206#p1 につけられたt.ikawaさんとのやり取りについて。質問してもらったおかげで、言いたいと思っていたことを順序良く整理していくことができている気がします。(どこから書いたらい…

生きられる権利/生きられる幸運

制度変更に要するコスト@bewaad.com http://bewaad.com/20050202.html 「非正統なやり方でも、この範囲なら認めるよ、ここから先は認めないよ」とか、私たちの側から何を言うかに関係なく、彼らにとって生きるための条件が保障されない社会であるならば、彼…

法が最小限の正義に満たないとき

生存報告・再@おおやにき http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/000156.html 法に外在する正義の話をし、そこに連なる話なので、法解釈論の枠内の話であるはずがないと思っていたのですが、誤解を招いたようですいません。女性国際戦犯法廷については、法…

漸近する守旧派と保守主義

出勤してみたら、雪で電車が遅れたせいで試験が1時間繰り下げになりました。時間空いたので、続きを書いてみました。 法廷と手続的正義・続々@おおやにき http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/000150.html この中でおおやさんが次のように述べている。保…

立ち位置を選ぶという特権

法律家という立ち位置@おおやにき http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/000153.html 専門家としての立ち位置の問題って、そんなに簡単に回避できるんですかね?

法の外に正義を構想する

稲葉先生(あえて)には悪いなぁと思いつつ。 法廷と手続的正義・続々@おおやにき http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/000150.html で答え残したところ。「正義と自由」と題されたの一節について。