憲法を根本から問い直す対話 ~ 高橋哲哉&岡野八代『憲法のポリティカ』
憲法96条改正論議や解釈改憲という暴挙に象徴されるように、為政者自身が憲法的価値をまったく尊重しない。そんな異常な時代に、哲学者・高橋哲哉と政治学者・岡野八代が「憲法」をめぐって対話する。これは読まないわけにはいかないでしょう、という企画ですね。
- 作者: 高橋哲哉,岡野八代
- 出版社/メーカー: 白澤社
- 発売日: 2015/03/07
- メディア: 単行本
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まずは内容紹介からしておきますと、全体は三部構成で、安倍政権下の現状を批判していく第一部、そこから憲法論を深めていく第二部、そして(安倍政権批判を超えて)さまざまな思想的課題に挑む第三部、という流れになっています。
話題は多岐にわたるのではありますが、憲法をめぐる中心的な論点として二つを拾えるかと思います。一つが9条。いま一つが天皇制。それぞれ整理してみたいと思います。
「放射脳」は過激化する?
このようなことはあるんだろうなぁ、ということは、僕も否定はしません。(次の引用は、約1年前に書かれた記事です。)
多くの人は落ち着いています。ただ除染すれば問題ないだろうという人の考えがエスカレートすることはあまりありません。私もそうです。しかし危険だと思ってしまうと、その方向で主張が過激になってしまう面があります。
そして過激になった人は、後から引けなくなってしまうのです。「放射能災害に苦しんだ南相馬の住民」は、福島が危険なんだと主張したい人にとっては、都合の良い貴重な存在になるわけです。そうした人につれられ、県外の講演会とか招待され、メディアやYouTubeに出てスポットライトを浴びると、過激なことを言い続ける状況に追い込まれてしまうのです。
http://agora-web.jp/archives/1585709.html
ただし、この記事は(好意的に見ても)一面的でしょう。「除染すれば問題ないだろう」という人は、安全側に向けて「エスカレート」するのではあり、「後に引けなくなってしまう」も同じ。実際、この方もこの記事に紹介される形で「スポットライトを浴び」ているわけで、構造的には同じです。
それがそう見えないのは、よくある話で、要するに、「自分のことはよく見えない」ということでしょう。結局のところ、その人がどのような材料をどのように読み、聞き、どのように筋道立てて(あるいは立てないで)考えているかを交換してみなければ、その人の考えの妥当性について何も言えないわけです。
誰しも、同じ構造の中で、同じ認識上の困難に直面しています。そのことを忘れないようにしておきたいものですね。